43 :名無し百物語:2019/08/17(土) 06:45:17.49 ID:Pg36qsM1.net[43/103]
夢二の鏡の話
こんばんは。この間、「さむどの屏風」の話をした元骨董屋です。
他に古物にまつわる話はないかって言われまして、今晩も来させていただきました。
でもこれ、そんなに怖い話じゃないんです。
まあ、ちょっとした事件はありましたけど。もう何十年も前のことです。
市でね、三面鏡を仕入れたんです。銅に錫メッキをした枠にガラスをはめ込んだ鏡。
化粧机の上に置いて使う小ぶりのやつでね。大正時代のものです。
品のいい金属彫刻がほどこされてまして、まさに大正ロマンを感じさせる。
それで、わたしが勝手に「夢二の鏡」って名づけまして。
竹久夢二はご存知ですよね。たおやかな美人画で有名な。
いかにも、あの夢二の絵の中の人物が使いそうな鏡だったんです。
ケースには入れず、店の前面の棚に飾っておきました。
44 :名無し百物語:2019/08/17(土) 06:45:50.88 ID:Pg36qsM1.net[44/103]
ちょっと余談になりますけど、骨董の鏡って、
けっこう誤解してる方がおられるんです。例えば、江戸時代の花魁が、
大きな姿見で着物の着付けをしているとか、三面鏡を開いて化粧してるとか。
でも、江戸時代に板ガラスを使った大きな鏡なんてないんですよ。
ええ、明治以前の鏡は金属を磨いたものです。
板ガラスが輸入されるようになったのは、明治の10年ころですかね。
ですから、それ以前には手鏡ていどのものしかなかったんです。
もちろん西洋のアンティークにはありますが、うちでは扱いません。
ああ、すみません、話を続けます。まあね、簡単には売れないだろうとは思ってたんです。
だって、骨董屋に一人で来られる女の方なんてまずいません。
今はどうかしりませんが、わたしらの頃は骨董趣味の女性なんて、まずいなかった。
45 :名無し百物語:2019/08/17(土) 06:46:11.08 ID:Pg36qsM1.net[45/103]
その鏡、商品ですから、もちろん毎日磨いてました。やはり古いものなので、
ガラスにゆがみもあったんですが、くもりはなく、物ははっきり映りましたよ。
でね、ある日、わたしの中学2年になる娘が、
店にいて、背伸びしてその鏡をのぞいてたんです。
右を向いたり、左を向いたり、すました顔をしたり、口を開けたり。
そこにわたしが入っていって声をかけました。「どうした、その鏡、気に入ったかい」
「あ、びっくりした。お父さん、おどかさないでよ!
「お前が店の品を見てるなんて珍しいと思ってね」
「この鏡、すごくきれいに映る。自分じゃないみたいに」
「うーん、ゆがんで少し凸面になってる部分があるみたいだから、そのせいかなあ。
お前が気に入ったなら、部屋においてもいいぞ」
46 :名無し百物語:2019/08/17(土) 06:46:36.06 ID:Pg36qsM1.net[46/103]
「あ、いらない。きれいな鏡だけど部屋の雰囲気に合わないし、
私、今、鏡見てるようなヒマはないから」娘は中学でバレー部に入ってまして、
背も私よりかなり高かったんです。それが県の大会でチームが優勝しまして、
あと1ヶ月で全国大会があったんです。オリンピックで日本の女子バレーチームが、
「東洋の魔女」なんて言われた頃からは時間がたってましたが、
テレビのアニメでバレーボール物をやってたりした時期でした。
当時はね、スパルタ訓練はあたり前で、娘はまだ中学なのに、
帰りが9時を過ぎることもよくあったんです。
でね、それからちょくちょく、朝の登校前とか、夜に店の電気をつけて、
娘がその鏡をのぞいてることがあったんです。10分以上も鏡の前にいて、
戻ってくるとボーッとした顔をしてる。
47 :名無し百物語:2019/08/17(土) 06:46:53.86 ID:Pg36qsM1.net[47/103]
まあでも、きつい練習の疲れや大会前の緊張を、そうやって娘なりにほぐしてるんだと
思って黙ってたんですよ。でね、ある晩です。娘が練習から戻って、
「御飯いらない」って部屋から出てこなかったことがありまして。
ちょっと驚きました。その頃の娘の食べる量はわたしよりずっと多かったですから。
で、その3日後ですか。妻からこんな話を聞かされたんです。
「○○子から相談されたんだけど、あの子、男子バレー部の3年生のキャプテンから、
つき合ってくれないかって言われたみたい。ずっとバレー一筋にやってきた子だから、
それでちょっとショックを受けてるみたい」
娘が妻に相談したんでしょうね。これはわたしも対処に困りましたが、
男親が口を出すのも難しい話だし、なるようにしかならんだろうと思いました。
ただ、大事な全国大会に影響が出なければいいなと。
48 :名無し百物語:2019/08/17(土) 06:47:13.19 ID:Pg36qsM1.net[48/103]
それとですね。小さい頃から男みたいな娘でしたけど、
その頃 急に、親の私から見ても、きれいだなって思えるときがあったんです。
頬が紅をさしたような色になり、唇も化粧したみたいに赤くて。
でもね、それは年頃になったからで、あの鏡のせいだとは露も思わなかったです。
でね、これも妻から聞いたんですが、その男子のキャプテンとのことは、
とにかく全国大会が終わるまで保留、それから返事をするって、
娘がその男の子に言ったってことでした。それから1週間後くらいですね。
夜、12時過ぎ、トイレに起きまして、廊下を通るとき、
店のほうがぼうっと光ってることに気がつきました。見に行くと、
あの三面鏡が開いてて、その中から光が漏れ出てたんです。
もちろん、店を閉めるときに鏡は閉じてました。
49 :名無し百物語:2019/08/17(土) 06:47:32.29 ID:Pg36qsM1.net[49/103]
おかしいな、と近づいていくと、不意に、鏡から人が抜け出してきました。
「えっ?」和服を着た日本髪の女性で、芸者さんみたいな感じでした。
「えっ えっ?」その女性は、すーっと滑るように店の通路を動き、
表戸の前まで行きました。そして私のほうを振り向き、それ、娘の顔だったんです。
「あ、お前!」娘の顔をした女はにこりと笑い、にじむようにして
戸の外に消えたんです。鍵を開けてみましたが、女の姿は通りにはなく、
それから心配して見に行った娘の部屋では、娘は布団をはねとばして眠っていました。
わけがわからなかったんですが、長年古物を扱ってると、
不思議なことはいくらもあるので、気になりつつも寝たんです。
・・・2時間後くらいですね、夜中の1時を過ぎてたと思います。
表戸をドンドンと叩く音がして、起き出して出てみると、
50 :名無し百物語:2019/08/17(土) 06:47:51.98 ID:Pg36qsM1.net[50/103]
40年配に見える酔っ払いが2人いました。で、「女が今、この店に入っていったから
出してくれ」ってことだったんです。着物姿の艶やかな女性が角に立っていて、
酔っ払いたちを誘うように流し目をした。で、後についていったら、
わたしの店の前でふっと姿が見えなくなった・・・こんな内容だったんです。
「そんな人はいませんから。警察を呼びますよ」そう言って帰ってもらいました。
まあ、こんなことがあったんです。それから2週間後、
娘のバレーの全国大会がかなり遠くの県でありまして、
わたしたち夫婦で応援に行ったんですが、2回戦で負けてしまいました。
でも、その試合は接戦で、娘のチームに勝った相手が優勝したんですよ。
大会が終わって、娘は抜け殻のようになり、店の鏡を見ることもなくなりました。
どうやら、男子キャプテンとのことも立ち消えになったみたいです。
51 :名無し百物語:2019/08/17(土) 06:48:15.58 ID:Pg36qsM1.net[51/103]
これで話は大体終わりなんですが、後日談というか。
あの鏡はずっと売れないでいたので、そろそろ蔵にしまおうかと考えていたときに、
70過ぎの男性と、その孫かと思える20代の女性が来店しまして、
老人のほうが「ああ、ここにあった。あの鏡だ」と棚の上を指差し、
「夢二の鏡」をかなりの額で買っていかれたんです。
それから半年後、その老人が一人で店を訪れまして、
菓子折りのようなものを手渡してよこしまして。意味がわからず、
事情を聞きましたところ、あの鏡、なんでも縁結びの力を持ったものだ、
って話でした。前に店にいっしょに来られたのは、やはりお孫さんで、
どういうわけか縁遠く、婚期が遅れていたのが、あの鏡を前にして
毎日化粧をするようになってから、すぐに良縁がついて、
52 :名無し百物語:2019/08/17(土) 06:48:31.36 ID:Pg36qsM1.net[52/103]
結婚が決まったので、そのお礼に来たということだったんです。
わかったような わからないような話でしたけど、「それはおめでとうございました」
そう言って、菓子折りは遠慮なくいただいておきましたよ。
・・・娘は、高校に進学しても競技は続けて、高校選抜にも選ばれたんですが、
ヒザを怪我してしまいまして、そこでバレーを断念したんです。
身長の伸びもとまってましたし。今となってはそのほうがよかったかもしれません。
高卒後に就職して、すぐ職場の人と結婚し、子どもが3人できたんです。
その長男が、わたしにとっては初孫でした。
ええ、あの鏡の力を借りなくても、良縁が見つかったってことです。
え? 鏡ですか。さあ、今はどこにあるんでしょうか。
噂は聞きませんね。世に出回ってはいないようです。