53 :名無し百物語:2019/08/17(土) 07:32:55.24 ID:Pg36qsM1.net[53/103]
兵隊人形の話
ああどうも、またおじゃましてしまいました。
ここで何度かお話をさせていただいた、元骨董屋です。
もうだいぶ昔になるんですが、私がまだ若い時代にあったことを
思い出しまして。ええ、その話をしにやってきたんです。
あれは、私が30代の後半のときです。自分の店を持って3年目、
まだまだかけだしのひよっこで、目利きもままならず、
よくまがい物をつかまされてた時代のことですよ。
え、店を持つのが遅かったんじゃないかって? ええまあ、
私は高校卒業してからすぐ、大きな骨董屋に丁稚奉公みたいにして
入ってたんです。当時はみんなさそうでしたよ。親の跡をついで
骨董屋になるのならともかく、この商売をやろうと思ったら、
54 :名無し百物語:2019/08/17(土) 07:33:21.06 ID:Pg36qsM1.net[54/103]
まずはどこぞの店に奉公して、そこでね、目利き、今の言葉でいう
鑑定眼を身につけさせてもらったんです。
ええ、住み込みで雑巾がけから何からやりました。
お給金など、ないも同然ですよ。戦後の混乱期でしたから、
飯を食わせてもらえるだけでもありがたい。
そこでね、市でのセリの仕方やら、古物の手入れの方法なんかを、
一から学んだんですよ。ああ、すみません。昔話が長くなってしまって。
それでね、小さいながらも自分の店を持ちまして、
せまい中に自分の気に入った古物をずらりと並べてね、
今考えると、あのころが一番幸せだったかもしれません。
売り上げも、親子3人食っていけるくらいには上がってたんです。
55 :名無し百物語:2019/08/17(土) 07:33:42.03 ID:Pg36qsM1.net[55/103]
あ、はい、結婚しておりまして、娘はまだ小学校前だったと思います。
本題に入ります。店じまいしてから、その日の売り上げを数えて、
帳簿につけるんですが、それがどうも合わなかったんです。
もちろん多いなんてことはない、毎日、100円、200円足りない。
100円ぐらいケチ臭い話だと思うかもしれませんが、
今とは貨幣価値が違ってまして、まだ百円札があったころなんです。
おかしいなあ、と考えて、でも、どうして足りないのかわからない。
そのころはもちろんレジなんかなくて、小箪笥に売り上げを入れてたんですが、
それを背にしてずっと私が店番をしてるんです。
ですから、誰かが持ち出すわけはない。ええ、私がね市に出たり、
出張買い取りにでかけてるときは、店は閉めてました。
56 :名無し百物語:2019/08/17(土) 07:34:04.13 ID:Pg36qsM1.net[56/103]
女房? いや・・・女房を疑うことはなかったです。
毎日ではありませんでしたが、女房は近くの食堂に働きに出てましたし。
それでね、面倒でしたが、現金が入ったときには、
いちいち奥の間にある金庫に入れるようにしたんです。
それで、お金が足りなくなるのは収まりました。まあ、いったんはね。
その金庫の鍵は、私が首からヒモでぶらさげて、
腹巻きに入れてましたんで、誰も開けることはできないはずだったんですが。
そうするようになって3日目くらいですか、夜中に、
いっしょの部屋に寝ていた娘が、急に大きな声で泣き出して、
私も女房も起きてしまったんです。電気をつけて、
「どうした、怖い夢でも見たか」と聞きましたら、
57 :名無し百物語:2019/08/17(土) 07:34:23.33 ID:Pg36qsM1.net[57/103]
娘が言うには、顔が水をかけられたようにひんやりして、
目を覚ますと、自分の顔の上を大きなカエルが通っていくところだった。
こんな話をしまして。まあね、それだけなら夢だと思いますでしょう。
表戸も裏戸もしっかり閉めてあるし、カエルなど入ってこれるはずがない。
そもそも、店の近くに水場などないんです。
ですから、「よしよし、夢だよ」と言って寝かしつけたんですが、
翌朝、金庫を開けると、前の日の売り上げの中から、
百円札だけがすべてなくなっていたんです。
これには驚きました。だってね、頑丈な耐火金庫で、大人の男2人でも
持てないほどの重さなんです。しっかり鍵もかけてある。
ただほら、前夜の娘のことがあったでしょう。
58 :名無し百物語:2019/08/17(土) 07:34:38.88 ID:Pg36qsM1.net[58/103]
金庫のある奥の間には、私たち家族が寝てる部屋を通らなくちゃ行けない。
何か、娘が見たというカエルと関係があるんだろうと思いました。
ですが、店にはカエルの置物などなかったんです。
ただ、お金がなくなるのが始まったのは、私が市で古物を仕入れてきた
翌日から始まったのはたしかなので、そのときに買った品のどれかが
悪さをしている。そうとしか考えられませんでした。
でね、どうしたかっていうと、私が奉公していた老舗の骨董屋の主人、
かつての私のお師匠さんでもあるんですが、その人のところへ
相談に行ったんです。お師匠さんはそのころ、もう店は息子さんにまかせて
隠居していて、悠々自適の生活をされていましたが、
私が訪ねると、隠居部屋に案内されてお茶を出していただきまして。
59 :名無し百物語:2019/08/17(土) 07:34:58.42 ID:Pg36qsM1.net[59/103]
事情を話しますと、面白そうな顔をして聞いておられたんですが、
「それはやはり古物だなあ、何かの古物の仕業だろう。
といっても、ここで正体はわからん。お前の店に行って目利きして
やってもよいが、それよりもいい物を貸してやろう」
そう言って立たれ、奥の蔵から紙の箱を持ち出してこられました。
で、中に入ってたのが、じつに意外なものだったんです。
何だと思いますか? それがね、兵隊の人形でした。
ええ、西洋アンティークってやつです。高さ15cmくらい、
赤い布の服を着て毛皮の軍帽をかぶり、立派なヒゲをたくわえた軍人が、
腰に4cmほどのサーベルをさした、いかめしい人形。
ブリキなどの金属ではなく、木彫りに見えました。
60 :名無し百物語:2019/08/17(土) 07:35:17.74 ID:Pg36qsM1.net[60/103]
意外だと思ったのは、お師匠の店は西洋のものは一切あつかってなかった
からです。お師匠は「これな、ちょっと場違いかもしれんが、
お前の店のどこか棚の上に一晩置いといてみろ。
翌朝にはきっと面白いことになってるから」こうおっしゃっり、
私は重々お礼を言って、その箱をいただいて戻りまして、
店の一番高い棚の上にあげといたんです。
その夜は、娘が起きることもなく、何事もなくて、
朝起きたときに金庫の中を見ましたが、お金はなくなっていませんでした。
それで、店に出ましたら、兵隊人形が棚の上になかったんです。
まあ、せまい店ですので、探したらすぐに見つかりました。
奥に大きめのガラス戸棚があって、それなりに値打ちの品を入れてるんですが、
61 :名無し百物語:2019/08/17(土) 07:35:35.48 ID:Pg36qsM1.net[61/103]
その中に倒れていたんです。拾い上げると、腰のサーベルが抜かれて
なくなってる。よくよく見ますと、戸棚の中に掛けてある掛け軸の一枚、
それの下のほうに、針のようにサーベルが突き立っていたんです。
でね、その掛け軸なんですが、中国の禅画を模倣したような絵柄で、
ススキの野に老人が立ち、こちらに背中を向けて月を見ており、
その足もと、草の間からわずかに顔をのぞかせているカエルの頭を、
縫い留めるようにしてサーベルが刺さってる。ははあ、と思いました。
夜中に娘が見たというのはこのカエルか。いちおう納得はしたんですが、
まだ、問題は解決してませんよね。なくなったお金がどこにいったのか。
掛け軸を外して調べてみても、裏側にもどこにもない。
それで、兵隊人形を返しがてら、手土産を持ってその掛け軸を、
62 :名無し百物語:2019/08/17(土) 07:35:58.21 ID:Pg36qsM1.net[62/103]
またお師匠のところに持っていったんです。話を聞くと、お師匠は笑って
掛け軸を見て、「この欲深じいさんが、手下のカエルをつかってお前の金を
くすねておったのか。まあ、百円札しか盗らないのはかわいいものだが。
それにしても、この掛け軸、本物の中国製だぞ、値打ちの物だ」
そう言って、その場で表具職人を呼んで、絵柄の部分、これは本紙と言いますが、
注意深くはがさせたんです。そしたらどうです。なくなった百円札、
それがびっしりしわを伸ばして、表具の側に貼りつけられていたんですよ。
ねえ、不思議な話でしょう。絵の中のカエルが抜け出したのも、
鍵がかかった金庫からお札がなくなったのもね。それが、私が古物の
持つ力を知った最初なんです。その掛け軸はお師匠に引き受けてもらいました。
あと、兵隊人形は、革命前のロシアのものだということでしたね。